陽水カレンダー 2023年5月の曲は「5月の別れ」
アルバム『UNDER THE SUN』(1993年9月)11曲中の9曲目。
シングル『5月の別れ』(1993年3月) カップリングは「Be-Pop Juggler」
キリンラガービールのCM曲。
仲代達矢が青空の菜の花畑をわしわしと歩いてゆく。
93年のちょうど5月ごろ放映されていたようです。
CMではひとりだけれど、歌の中では男女の二人。
そう若くはなさそうです。
5月の風が吹き抜ける木立の中を歩いてゆく。
白樺もちらほらある若木の林です。
そんな想像の風景から、また広がりのある曲と詞からも
裏切りも怒りも感じられない。
むしろとても気が合う同士かも。
色々と想像が膨らむ歌詞です。
曲もことばも広がりがあって伸びやか。
ちょっと遠出して
新緑の中を歩きたいです。
聴きながら。
COMMENT
忘れられない歌唱
忘れられない歌唱があります。
2017年のGood Luckツアー、
4月下旬(5月ではない)の川越公演です。
さきさんも会場にいらっしゃいましたよね。
4曲目の「移動電話」、突然の大音量のノイズで
演奏が中断してしまった、あの公演です。
再開するも、再びノイズ。
この曲は縁起が悪いから後に回してということで、
次に歌われたのが「5月の別れ」でした。
陽水の歌声で会場が徐々に落ち着きを取り戻し、
アウトロが終わった時の安堵感は今でも覚えています。
「夢をひとつだけ、ノイズが鳴り止むように」
みたいなことを陽水が言ったような…。
あわてず騒がずイライラせず。
あの時の陽水は男前だったなあ。
ほかにも、公演の数日前に亡くなった
ペギー葉山さんをしのんで、
お父さんが好きだったという
「南国土佐を後にして」の
弾き語りも聴かせてくれました。
いろいろあったけど、思い出深い公演です。
忘れられない公演
そうですか
5月の別れ でしたか
ホールの空気が次第に治まったのはよく覚えています。
陽水というひとの大きさを実感しました。
空の神兵
井上 どうしてそういう太平洋戦争、戦争が終わった直後の話が好きかっていうことを少ししゃべりたいんですけど。やっぱり特殊な状況だったんですよね、戦争に負けるとか、物がないとか。それから今までのシステム、いろんな制度、そういうものが一回崩壊して、ルールとか、習慣とか、あの人は目上だとか、あの人は立派な大学出てるとか、あの人は立派な家系の出だとか、そういうことが白紙に戻った感じがすごく興味深くて。
それから特に、それまでは日本に外国から、特に白人系ていうかヨーロッパとかアメリカというところからは、宗教関係や、貿易商とか、旅人とか、政府関係者とか、そういうある種限られた人しか、少数の人しか入ってこられなかったんですけども。あの戦争に敗れて、アメリカ人を中心として何十万人っていう人間が、ま、兵隊が主にドカンと入ってきて。これはもうすごいことだと思うんですよね、日本人にとって。そういうところもすごく興味深くて。
いろいろ映像とか本とかで、機会があると「どうだったのかなぁ」って知ることがすごく好きなんですけど。ペギー(ペギー葉山)さんはホントにそこらへんの生き証人(笑)っていうか、特にキャンプの中でお歌いになってたっていうところがすごいですよね。
そこで一緒のバンドマンだったり一緒にスタッフとして働いてた方々が、僕が物心ついてテレビなんかを見始めたテレビ創成期の、多くのアーチストとか、タレントとか歌手とか、さまざまな人を一手に引き受けた大手のプロダクションを作った人達とか、そんな方々と一緒に働いたのもすごく面白いしね。
――戦後の音楽もそうですね、混乱しているというか。いろんなものが入ってきているっていう感じありますよね。
井上 中近東とか、キューバとかアルジェリアとか、そういうところからの音楽がヨーロッパやアメリカで流行って、で、日本に来たみたいな。一応経路はそうなんでしょうけど、そこらへんも面白いですよね。
だから日本人にとってみると「ウスクダラ」(?)とか「コーヒー・ルンバ」もそうだったかもしれないけど。それからペギーさんもおっしゃってたけど、アーサー・キッドっていう人が「♪しょ、しょ、しょじょ寺、しょじょ寺の庭は」なんかそういうのが日本からアメリカに行ってアメリカでちょっと流行って(笑)、また日本に来たとかね。日本人にとって「なんでー?」みたいな歌が多くて(笑)。楽しいですよね。
――「ドミノ」の話も。
井上 これはね、さすがに僕は「コーヒー・ルンバ」までは知ってましたけど、「ドミノ」っていう曲は実は知らなかったんですよね。それはペギー葉山さんのデビュー曲だということは、最近わかったんですけど。
この曲との出会いは(笑)、今から12~3年前になりますかね。テレビをぼんやり見ていたらペギー葉山さんが、ある歌の番組にお出になっていて「ドミノ」っていう曲を歌っていたんですけども、ちょっと最近耳にしないような言葉の運びがあって、これにもびっくりしましてね。
歌詞をまた歌わせていただきますけど「♪ドミノ、ドミノ」、“ドミノ” っていうのはドミノ倒しではなくて人の名前だと僕は思うんですけども。「♪ドミノドミノ、神の与えし天使」、神が与えた天使だっていうんですよね、ドミノっていうのは。「♪ドミノドミノ、われを悩ます悪魔」、ドミノは私を悩ませる悪魔だ。私の思いを知りながらなぜつれないのか…と、格調高い文語調で歌われているんですね。
最近そういう歌が少なくなったっていうか。たとえば「蝶は」というのを、ちょっと古い心ある方は「てふは」なんていうことがある。それが “蝶々” になったときに “てふてふ” って書いてあるのは、「いくらなんでも」っていうくらいすごく古臭い感じで、「あの人って、まだ“てふてふ”って言ってる」(笑)みたいなのがあって。
そういう時代を経てさらにここまで “蝶々” が普通の言葉として推移してきますと、“蝶々”のことを“てふてふ”ということのできる人に対しては、逆に「ただものではないな」という思いを抱きまして。
それから、詞の内容も「素敵だなー」と思ったし。なんせペギー葉山さんっていう方は「南国土佐を後にして」とか、「学生時代」とか、そういうイメージがあったんですけど、今回はぜひ「ドミノ」を歌わせていただけないかってお願いして。
以上 “Yosui Magazine” より引用。
歌手生活50周年記念アルバム。ペギー葉山のヒット・ナンバー及び
スタンダードな和洋楽曲『オリジナルソング』、『思い出のうた』に分けた2枚組。今回新録で井上陽水が2曲提供している。
とのことで
「目が覚めたら/ペギー葉山」の歌詞・楽曲情報。
歌ペギー葉山. 作詞. 井上陽水. 作曲. 井上陽水 平井夏美
今一つが分かりません。
ミュージックフェアの映像をURLに。
BANされないように頭と尻尾はわざとカットした編成です。
ここでも先月に引き続き陽水の先達に対するリスペクトが
見事に見てとれます。
デュエットの場面では意識的にマイクを顎から遠ざけ
ペギーさんのわき役に徹します。
おそらく、ミキサーに事前に指示して自身のボリュームを
下げています。
彼女に敬意を表してサングラスを取り、タキシード。
これには驚き。この時期にサングラスなしはほんとに珍しい。
陽水にカメラがズームした際もカメラに目で合図し
ピントは自分ではなくぺギーにフォーカスしろと。
星野との絡みの際は萌え袖ではにかみながら
ペギーを意識して甘えています。
ほほえましい陽水の映像ですね。
戦地で明日は死にゆくかもしれない名もなき将兵にとって
故郷を想わせる「南国…」は慕情を掻き立て
琴線に触れるものだったことは想像に難くありません。
それを戦争協力と呼ぶなら呼べ。
魂に訴える歌声はそんなものを超えている。
忘れられない公演
そうですか
5月の別れ でしたか
ホールの空気が次第に治まったのはよく覚えています。
陽水というひとの大きさを実感しました。
補足
陽水が「南国土佐を後にして」を
歌ったエピソードを紹介しましたが、
念のため、陽水がどんな思い出を語ったか、
記憶を頼りに書いておきます。
6年前なので、もちろん全て正確ではありません。
僕は福岡の田川の生まれですが、
父は土佐の高地の出身でした。
何度か行きましたけど、水や空気がとてもきれいでね。
田川は炭坑の町で、昔は川で石炭を洗ったりしてましたから、
川の水は黒く濁っていて、空気もきれいじゃなかった。
父は歌謡曲とかあまり聞きませんでしたけど、
ペギー葉山さんの「南国土佐を後にして」が
テレビから流れると、
じっと聞いていることがありました。
四万十川の清流とか、
昔を思い出していたのかもしれないですね。
テレビでペギーさんと共演する機会があって、
父の話をしたら、
とても喜んでくださったのを覚えています。
おおむねこんな感じで、
しんみりした、とても良い話でした。
No Title
2019年の札幌公演から“もう”4年目、こちらはとても長いです。
そうそう、そんなふうに話してくれましたね。
大切な思い出を手渡すように。
ペギー葉山さんとのミュージックフェア、わたしは何故か見なかったようです。
貴重な映像をありがとうございます。
「5月の別れ」で思い出すのは
2007年5月16日の苫小牧市民会館。
新千歳空港から特急で苫小牧へ行く途中の風景が若葉の林でした。わたしがこの曲に持つイメージはきっとその経験のせいかもしれませんね。
メジャーキーだけど「別れ」
こんにちは。
ははー、直球でしたね。いいです。これは外せないですね。
5月中に、いろんなかたが想いを語るでしょうから、歌詞や歌への想いなどは程々にして。
また、音楽的な話で申し訳ないんですが、「5月の別れ」なんてタイトルだから、マイナーコード(短調)の曲と思いきや、
これ思いっきり、Cメジャー(ハ長調)。
つまり、楽譜を見ると、#とかbとかついてない。
小学生の音楽の教科書の唱歌にあるような。
また、シンプルなコード進行の曲です。ギター初心者でも弾き語りできます。「別れ」なんですけど、爽やかに聞こえるのは、楽曲のコード、陽水の歌声、編曲。
これらがマッチしているのでしょう。
ちなみに同じアルバムの「鍵の数」、これまた揃えたように
Cメジャー。平井夏美さんとの共作。平井さんは陽水さんのポジティブな面を引き出そうと、メジャーキーの曲しか作らなかった、とおっしゃってましたね。
アルバム「UNDER THE SUN」は、「Be-Pop Juggler」のような、ライブで映える曲も揃えて、明るいポップ路線で行こう、というスタンスだったと思うのですが、有名になって、ライブでもよく歌うのが、「Make up shadow」、「5月の別れ」、「鍵の数」あたりかな?
ただ、いずれも、「底抜けに明るいポップ」には聴こえないんですけどね(笑)。そこが単純ではない陽水さん。なお、「Make up shadow」はマイナーキーです。
ライブでは、「11」は歌ったことがあったかな?「ストイック」は記憶にある。でも、「UNDER THE SUN」の中でも、アルバムでも、「結構」明るい「カナディアンアコーディオン」、「Be-pop juggler」は記憶にない......。
でも、本当に、「5月の別れ」。5月に聴くのもいいんですが、この曲、家族で真夏の避暑で高原に行くと、必ず聴きたくなる曲ですね。タイトルに、別れ、がついても、そんな意識が飛ぶ。
ハ長調とは!
お待ちしてました。
ありがとうございます!
ハ長調と聞くと、シンプルな曲を想像しますが、全くそうではないですよね!
「鍵の数」も平井夏美さんでメジャーいうのも意外です。慌てて調べたらほぼ20曲を共作または提供という情報もあります。いま思いつくのは「自然に飾られて」だけですが。
「鍵の数」を小学校の音楽の授業で歌う光景を想像してみました。テンポ速めで弾むように歌って、微笑ましいです。
(ヒマか!)
6月の曲はそれかあれか、1ヶ月迷うのも楽しいです。
5月も一週間すぎました
仲代達矢さんのCMは好きでした。
CMの影響を受けやすい私はラガービールを飲みました。
まだまだ5月ですが、6月の歌が気になってしまいます。
以上
名曲中の名曲「5月の別れ」
その数年前にNHKホールに行って、その公演が私にとっては、よくなかったんですよ。それ以前に、どこだかのライブに行ったのとやけに同じような内容で、陽水はもう見なくてもいいのかなとも思いました。さらに翌年に、また「『氷の世界』を全部やります」なんてツアーをやるそうで、それに対して「何て後ろ向きなんだろう」とあきれまして、ファンでないものですから平気で知らんふりできたのです。私はその時点で、もう井上陽水なんて、新曲も出さないし新たな冒険もしないし、どこにライブに行く必要があるんだろうと、せいせいしていたものだったのです。むかしの有名な曲を再生するだけなのならば、それはラジオにリクエストすればいいだけだろうと、これはいまでも思っています。井上陽水にやって欲しいことは、そういうことではないだろうと、私はずっと思っていました。
まあ、ひとりひとりに、違うことを望まれるのは、アーティストにとっては楽ではないなあとは感じます。それでも、やってくれなくて飽きたら、見に行かなければいいのです。それが、私の側の残酷な目線なのです。
それなのに、何でまたしても川越公演には行ったのか。チケットがたまたま買いやすかったからとか、会場が家から遠くなかったからとか、行ったことがない会場だったとか、そんな理由だったと思われます。あまり、積極的な気持ではなかったはずでした。
ライブが始まったのですが、いきなりDylanのコピーだったり、やけに暗いスローなマイナーナンバーだったりと、すぐに「やっぱり陽水に来るのはやめよう」と思ったものでした。せっかく始まった優秀と思われるナンバーも、例の音響トラブルで台無しだし、来ない方がよかったと思いかけていました。
それが何と、水準以下ばかりだと思っていたら、よりによって「5月の別れ」が聴けるとは!こんな名曲を、他の数々の平凡以下の曲と並列に並べてしまう井上陽水には、開いた口がふさがりませんが、でも聴けるのにも異論があるはずがありません。ああ、今日は来て本当によかった。調子がいいのです、私も(^^;
どなたかが書いてらしたように、「別れ」なのにメジャーのキーです。やっぱり、マイナーはメジャーに、ハッキリと劣るのです、いや、意見には個人差がありますが。これ、「別れ」とタイトルにはありますが、例えば「5月の出会い」でも「5月の船出」でも「5月の夜明け」でも、何でもいいような気もしているのですよ。大事なのは「5月」なんだろうなあとも、思っちゃいますね。明るいのですよ、5月は。「青空」はもちろんですが「月」だって、5月ならば明るいのです。5月は、メジャーキーで作らないと。
そんなことを思い、ミディアムテンポで上を見上げていい気持ちになっていると、いつも突然に新たな喜びに息を飲みます。
「♪レタスの芽がめばえて」と唐突に、足元での新たな胎動を知らされるのです。「レタス」が出てくるのだって、何回もこの曲を聴いて知っていたのに、それでも聴くたびに新鮮な気持ちで驚かされてしまいます。あなたとのこれからのことも一大事ではあるんだけれど、地球が回っていて植物が生きていることだって、喜んでいいのですよ。次の朝だって必ず来るのです。「別れ」が避けられないものだとしても、それでも他に心奪われることだって、あってもいいのですよ。
それに、「ユリ」でも「ひまわり」でもなく、野菜の「レタス」。何だかわからないけれど、「レタス」でこの曲は間違いなく、もう一段階、名曲に上り詰めたのだろうと思います。そう、音響トラブルのことなんかも、どこかへ行ってしまったし、そもそも名曲を妨げるものなんてありっこないのです。
アーティストは、常に新曲を、それもすぐれた新曲を書かねばならないと思います。メジャーコードしか書かないという、平井夏美さんの心意気のことは初めて知りましたが、それこそがアーティストに向き合う正しい姿勢に他なりません。おかげで生まれた「5月の別れ」は、90年代の陽水の、新たな名曲中の名曲です。
そして私たちは、名曲の誕生を喜びましょう。70年代や80年代にも名曲はあったけれども、90年代にだってそれらを遥かに超えて、こんなに美しい曲ができたではないですか。井上陽水は、こんなにも誰にも書けない高みの曲を作ることができるのですよ。こんな名曲ができたことを、私たちが世に問わないでどうするのですか。すぐれた芸術作品は、キチンと評価されなければならないのです。どうだ、井上陽水は、こんなにすぐれた新曲を書くことができるのだぞと、大威張りで井上陽水ファンだと名乗るときなのです。
いや私は、陽水のファンとは言えないのですけれどねえ(^^;
また音楽的な話ですが.......録音などについて
陽水の声に、ほとんどリバーブかかってないですね。
あと、どこにもハーモニーもないし。
本当に、陽水の生声に近い感じに思います。
鍵の数も似ていて、ハーモニーなしで、
見事なバラードを歌い上げてますが、
多少エフェクトかけてるかな?
という感じはあります。
本当に「5月の別れ」はライブでも映える。
陽水自身もお気に入りなんでしょうね。
加山雄三と、古舘伊知郎が司会してた
「Music Journal」で、生出演時に、この曲を
歌ってましたが、まさかCDのリップシング?と思ってたら、
果てしなく、の前に、陽水がスキャットが入れたから、
え、違うんだ、と気づいた人もいた、とか。
生でもすごいんですが、録音時は丁寧に、
何度も歌い直ししたんじゃないかな、と感じさせます。
この曲は、「あな〜たに」「かな〜えて」など、
母音の「あ」行で長めになる歌声が、何度か出てきます。
一つ一つ、陽水の微妙な口の開け方の工夫かな?と
思うんですが、母音の「あ」の響きが違うんですよね。
「ひとつだけ」も同じ音程で、3回出てきますけど、
1回1回、微妙に歌い方変えてますしね。
声にエフェクトがかかってないから、如実に現れます。
音程が、中音ぐらいで、陽水が持つ音域としては、
高くないからか、工夫ができたのでしょう。
歌詞の言葉の、一音一音に、
表現者としてのこだわりが伺えます。
確か、この曲の歌入れ時のレコーディングは
アルバム一枚分ぐらい時間をかけた、という
話も聞いたような......。
昔の話になりました。
No Title
“レタスの芽が芽生えて“をも大きく把握されて同感です。アルバムタイトルの『UNDER THE SUN』に相応しい曲だと思います。
ライブが古い曲ばかりというご不満については、ちょっと陽水を庇っておきたいですが、先刻ご承知での辛口でしょうからやめておきます。
そうです、飽きたら行かなければよいのです。素晴らしい快演のライブは映像で見られるのです。
なのに何故わたしは来ているのだろうと思った寒い日がありました。でもその答えはその夜のステージにありました。
わたしより適切な説明を、ちょうどskkmtshrさんが書いてくださっています。録音についてのお話ですが、ライブも同じことだと思います。
陽水はいつも考えて工夫してその日のその歌をうたっているのですよね。
リバーブの件は間違ってましたが、やはり凄い。
すみません。「5月の別れ」「鍵の数」も
リバーブは入れてましたね。
でも、同じ歌詞でも、出てくる都度都度で、
微妙に口の開き、喉の使い方、
音程の微妙な取り方(無論、音程を外しているわけではない)、
少しづつ変えてます。これは間違いないですね。
全く同じだったら、曲全体が平坦になってしまって、
雰囲気出ないだろうな、ってことを
よく理解して歌っているのでしょうね。
プロ中のプロです。
それは、同じ歌詞が頻出する「少年時代」でも
よくわかります。
陽水は、2019年の前まで毎年のように、
ライブをしていましたが、2014年の
氷の世界ツアー以前ぐらいから、私は毎年行ってました。
ライブになると、もっと如実にわかります。
後で記念に買う、ライブのビデオで
陽水がアップになるシーンが多いと、
同じ日本語の文字の発音でも、
微妙に口の開き方が変わってます。
音程も微妙に変えてます。
毎回変えるアレンジ、年齢による声の変化にも
合わせに行くのでしょう。
そこでさらにライブの魅力は増していくのです。
だから、毎年行っても面白いわけで。
連投2回目(5月の別れは関係なく.)
録画とはいえ、陽水の動く姿と歌声が聞けるのは嬉しい。
「井上陽水 名曲カバーセレクション」
徳永英明「帰れない二人」(井上陽水/1973)
斉藤和義「東へ西へ」(井上陽水/1972)
井上陽水×オルケスタ・デ・ラ・ルス「氷の世界」(井上陽水/1973)
オルケスタ・デ・ラ・ルスとの共演。
これは、もしかすると賛否両論あるかもしれませんが、陽水らしい
「新しい何かをすることが好きで、怖がらない」
で、良かったと思います。
本人も「明日何が起こるかわからないのが好き」
っておっしゃってましたっけ。
もう懐かしくなってきましたね。
徳永英明と斉藤和義のカバーも良いので、
必見かと。
と思ったら、司会は、陽水の飲み友達の後輩、
リリー・フランキーか(笑)。
連投3回目(これで今日はおしまい)
それぞれのカバー歌手の歌い方の解説には私は納得。
陽水の歌は、古びることなく歌い継がれる。他にもたくさん。
声だけでなく、歌詞やサウンドも、時代を超えた普遍性を感じます。
5月の別れも、もちろん。