暇なので謎解きでも。よろしかっらたお付き合いください。
YouTubeという無料視聴のシステムがどうして成り立っているのかわからないので、おずおずと、でもありがたく拝視聴している。昨年のいつか、どなたかの紹介で聞いたものもわたしには貴重な録音だった。
ラジオで放送された列車内での「井上陽水インタヴュー」だった。放送は1980年2月11日とのこと。インタヴューといっても聞き手はプロの方ではない様子、普通の車内の二人の会話という感じ。相手は誰だろう?いつだろう?どこだろう?手掛かりは、放送日、列車の音、話の内容。
陽水がこんな話をしている。「昨夜の市民会館でとった出前のうどんでさえおいしい」と。だからその次の日に博多から乗った列車の中ということ。東へか西へか。ここでいつか「ギターと着替えと歯ブラシを持って」上京した時の話を思い出す。「汽車か電車か。多分もう新幹線があったと思うが」と。調べると山陽新幹線は1975年に博多まで開通した。じゃあゴトンゴトンという音や汽笛が聞こえるのは九州内の汽車だろう。どこへ行くのだろうか。
放送日より1年ぐらい前まで、まず井上陽水の公式サイトのPROFILEを見るがヒントはなし。そこで思い出したのが40周年記念に出版された『井上陽水 FILE FROM 1969』。ツアー グッズとしてもとめたのだろうか。厚いので読んでいなかった。
放送の前年1979年の頁を開くとそれは見ひらき2頁の写真。その年の社会の出来事、biography そしてありました「陽水1979 ON TOUR」のスケジュール!
9/17福岡市民会館、9/18熊本市民会館。これだ!次の会場熊本へ向かっているのだ!このインタヴューの日は「昨日の天気が嘘のような」雨降りの1979年9月18日と決定してよいだろう。そうわかると、聞き取りにくかった次の?駅のアナウンスが「久留米」と聞こえた。
このインタヴューがその時期だという根拠は、もうひとつ。会話の相手X氏が「いま出てるあの"なぜか上海"……」 と言っている。シングル「なぜか上海」79年8月5日発売。
さてX氏はどなただろう。上記の博多のうどんの件では「東京のは黒い」と同意の口ぶりのように聞こえる、東京の人ではない?
インタビューアーなのに、陽水のほうが敬語で、お茶など「何がいいですか?」と買ったりしているんですよね。
また、X氏は陽水に近い方ではないか。推測の根拠。陽水「旅は嫌い」X氏「でも今度ので旅のこと歌ってるじゃない」陽水「今夜ってヤツですか?だからあれもチューリップじゃないけど心の旅みたいな気持ちで…」
というやりとりがあるが、「今夜」が収録されているアルバム『スニーカー ダンサー』の発売は1979年9月21日で、この時点でまだ店には出ていないのだ。
結局人物は謎のままなのだが、わたしにはこの「今夜」についての会話も大きな収穫。
♫ひとつ金を探しに旅に出ようか 今夜
このフレーズは何を暗示しているのだろう?じゃあ旅って?金って?(ちなみに「金」をずーっと「鐘」だと思っていた)
この歌も謎だらけと思いつつアルバムで「今夜」を聴いた。そのわからない詞が好きです(読み間違えていたくせに、笑)。
(ここからが実は本題です)
さて『FILE FROM 1969』という424頁の書籍だが、見開きの写真頁の次は YEAR STORYとして、毎年1頁、40年分を田家秀樹が書き下ろしている。この1979年は田家氏の解説の他に、『スニーカーダンサー』とその前の『white』との違いについてのアレンジャー星勝のコメントやベースを弾いていたという高中正義のギター起用のことなどなど。こんなふうに毎年様々な切り口で構成されていて、この頁を読むだけでも興味深い。
続く頁では、発売されたディスクと収録曲、発売ディスクへのレビューもたくさん掲載されて、実に色々な人が色々なことを書いている。毎年ではないが、ある会場のコンサートのセットリストもある。対談も盛り沢山、忌野清志郎との対談も面白い。また、黒田恭一の『スニーカーダンサー』リリース時の文章はいま読んでも、いやむしろいま読むと意味深い。陽水自身の作品もある。
ピックアップも編集も大変な作業だったでしょうね!今まで積んでおいてすみません。
当初の目的も忘れて毎晩次々と頁をめくった。果ては自分の陽水歴の確認もほぼできたというオマケ付き。あの日テレビでライヴの録画放送を観たのが始まりだったのだ。
『井上陽水 FILE FROM 1969』 TOKYO FM出版 2009年5月2日 初版
(もうすぐ50周年だから再版はないでしょうが念のため書いておく。1982年の項。『Lion & Pelican』の収録曲に「リバーサイド ホテル」が抜けています)