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今日も井上陽水(忍)

井上陽水ってどんなひと?わからないから知りたくて。今日も明日も明後日も。

   
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井上陽水 38年前のインタビュー の謎

暇なので謎解きでも。よろしかっらたお付き合いください。

 YouTubeという無料視聴のシステムがどうして成り立っているのかわからないので、おずおずと、でもありがたく拝視聴している。昨年のいつか、どなたかの紹介で聞いたものもわたしには貴重な録音だった。

  ラジオで放送された列車内での「井上陽水インタヴュー」だった。放送は1980年2月11日とのこと。インタヴューといっても聞き手はプロの方ではない様子、普通の車内の二人の会話という感じ。相手は誰だろう?いつだろう?どこだろう?手掛かりは、放送日、列車の音、話の内容。

 陽水がこんな話をしている。「昨夜の市民会館でとった出前のうどんでさえおいしい」と。だからその次の日に博多から乗った列車の中ということ。東へか西へか。ここでいつか「ギターと着替えと歯ブラシを持って」上京した時の話を思い出す。「汽車か電車か。多分もう新幹線があったと思うが」と。調べると山陽新幹線は1975年に博多まで開通した。じゃあゴトンゴトンという音や汽笛が聞こえるのは九州内の汽車だろう。どこへ行くのだろうか。

 放送日より1年ぐらい前まで、まず井上陽水の公式サイトのPROFILEを見るがヒントはなし。そこで思い出したのが40周年記念に出版された『井上陽水 FILE FROM 1969』。ツアー グッズとしてもとめたのだろうか。厚いので読んでいなかった。
 放送の前年1979年の頁を開くとそれは見ひらき2頁の写真。その年の社会の出来事、biography そしてありました「陽水1979 ON TOUR」のスケジュール!
 9/17福岡市民会館、9/18熊本市民会館。これだ!次の会場熊本へ向かっているのだ!このインタヴューの日は「昨日の天気が嘘のような」雨降りの1979年9月18日と決定してよいだろう。そうわかると、聞き取りにくかった次の?駅のアナウンスが「久留米」と聞こえた。

 このインタヴューがその時期だという根拠は、もうひとつ。会話の相手X氏が「いま出てるあの"なぜか上海"……」 と言っている。シングル「なぜか上海」79年8月5日発売。

 さてX氏はどなただろう。上記の博多のうどんの件では「東京のは黒い」と同意の口ぶりのように聞こえる、東京の人ではない?
 インタビューアーなのに、陽水のほうが敬語で、お茶など「何がいいですか?」と買ったりしているんですよね。
 また、X氏は陽水に近い方ではないか。推測の根拠。陽水「旅は嫌い」X氏「でも今度ので旅のこと歌ってるじゃない」陽水「今夜ってヤツですか?だからあれもチューリップじゃないけど心の旅みたいな気持ちで…」
というやりとりがあるが、「今夜」が収録されているアルバム『スニーカー ダンサー』の発売は1979年9月21日で、この時点でまだ店には出ていないのだ。

 結局人物は謎のままなのだが、わたしにはこの「今夜」についての会話も大きな収穫。
♫ひとつ金を探しに旅に出ようか 今夜
このフレーズは何を暗示しているのだろう?じゃあ旅って?金って?(ちなみに「金」をずーっと「鐘」だと思っていた)
この歌も謎だらけと思いつつアルバムで「今夜」を聴いた。そのわからない詞が好きです(読み間違えていたくせに、笑)。

(ここからが実は本題です)
 さて『FILE FROM 1969』という424頁の書籍だが、見開きの写真頁の次は YEAR STORYとして、毎年1頁、40年分を田家秀樹が書き下ろしている。この1979年は田家氏の解説の他に、『スニーカーダンサー』とその前の『white』との違いについてのアレンジャー星勝のコメントやベースを弾いていたという高中正義のギター起用のことなどなど。こんなふうに毎年様々な切り口で構成されていて、この頁を読むだけでも興味深い。

 続く頁では、発売されたディスクと収録曲、発売ディスクへのレビューもたくさん掲載されて、実に色々な人が色々なことを書いている。毎年ではないが、ある会場のコンサートのセットリストもある。対談も盛り沢山、忌野清志郎との対談も面白い。また、黒田恭一の『スニーカーダンサー』リリース時の文章はいま読んでも、いやむしろいま読むと意味深い。陽水自身の作品もある。
 ピックアップも編集も大変な作業だったでしょうね!今まで積んでおいてすみません。

 当初の目的も忘れて毎晩次々と頁をめくった。果ては自分の陽水歴の確認もほぼできたというオマケ付き。あの日テレビでライヴの録画放送を観たのが始まりだったのだ。

『井上陽水 FILE FROM 1969』 TOKYO FM出版 2009年5月2日 初版

(もうすぐ50周年だから再版はないでしょうが念のため書いておく。1982年の項。『Lion & Pelican』の収録曲に「リバーサイド ホテル」が抜けています)

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井上陽水 出身高校の式典で熱唱

福岡県西田川高校の創立100周年式典 
卒業生の井上陽水さん熱唱

このような記事が、西日本新聞デジタル、朝日新聞デジタルに出ています。
ネットで検索すれば読むことができます。
お話もされたようです。
写真も何枚かあって、
後輩の女子高生から花束を受け取っている穏やかな笑顔がステキです。

井上陽水 生日快楽! 2017

井上陽水様

お誕生日おめでとうございます。

 昨日、お元気そうなお姿を拝見してほっとしたところです。それまで、海外で危ない目にあったりしておられないだろうかなどと、日ごと夜ごと心配しておりました。本当です。昨朝なんかミサイル警報がなりましたし、何があるかわかりません。
 昨日拝見したのは、清水ミチコさんがアップしてくださった写真です。お元気そうなのは嬉しいのですが、三人さまでなにか楽しそうで、それはそれで気になります。何を企んでおられるのでしょう。

 先日探しものをした折に、いわゆる”陽水本”の箱を発見しました。そのうちの『媚売る作家』(角川書店)をパラパラと見ていまして、思わず笑った箇所があります。1992年のインタビューらしいのですが、「これからも、シンガー・ソング・ライターという“道”を続けていく予定ですか?」という質問にこんなふうに答えておられます。
 「まあ、とりあえず五十まではうたうのかなぁ、と思ってますね。(中略)六十二になっても、しょっちゅうツアーをしてるっていうのは、考えにくい(笑)」

 このとき陽水様は43歳でしょうか。ずいぶん未来を短く見積もったものです。あと7年しかない。案の定、見積もりは大きく外れて、いまや「しょっちゅうツアーをしてる」と言ってもいいぐらいのご活躍ぶり。大変めでたいですし、われわれにとって大きなGood Luckであります。

 この(中略)の箇所では「僕に限らず、吉田拓郎にしても小室等さんにしても、常識的な線だよね」とおっしゃっています。ちなみに
 
  小室等さん   73歳
  吉田拓郎さん  71歳

 ついでに
  BOB Dylan     76歳
  Paul McCartney   75歳
  Eric Clapton         72歳
       ホセ カレーラス  70歳
  
 つまり、まだまだお若いのです。
 どこかの会社の社員旅行の温泉に呼んでもらうご希望は、お預けですね。
 幾久しくうたい続けてくださいませ。

 「コンサート2017秋 “Good Luck!”」を楽しみにしております。

  2017年8月30日(水)
  きさら先

 (お読みくださる方へ)
 昨年のお誕生日に、コメント欄におめでとうメッセージを書かれた方が居られました。それで思いついたのですが、よろしかったらコメント欄を、お祝いのメッセージにお使いくださいませ。

「いわき」という町

いわき駅に着いたのは4月6日、「井上陽水コンサート2017”Good Luck"」の初日の前日だった。品川から出る特急ひたちの終点。この先は行ったことがない。ライブは明日だから行ってみようかと思った。常磐線各駅停車で、ときに海岸線を通る。穏やかな海。30分あまりの竜田駅で列車は止まる。先に線路はあるが除染が済んでいないから行けないことはニュースで知っていた。次の駅へはJRバスが待っていた。
 この先の海のほうに、東電の原発があるのだろうが、もちろん見えない。2、3人乗ったJRバスを見送り、もう一台町営バスを見送って、次の電車でいわきに戻る。何しに来たのやら。いつもわたしは中途半端だ。竜田駅の線路脇、かなり立派な桜が7分か8分咲きだった。

 いわきは来るたびに変わっている。初めて来た平市民会館の公演のころとは見違えるようだ。駅前が開発され、アリオス(いわき芸術文化交流館)仮オープンのときが第一の変化の姿。
 その次は震災後の「Live 2013 Missing 」のときだ。むしろ賑わっていた。夕暮れ時に新しいパンションに着いたバスから降りる制服姿の人たちを見て、ここは前線基地なのかと思った。いわゆる復興作業の。それで人が多いのだと。

 震災から6年、いわき駅は高架となり、高いマンションが増えている。すっかり都会。前にはなかったホテルで訊くと、「人口が増えているんですよ」との話。

 竜田駅の桜が咲いていたから期待してアリオスの裏側の川へゆく。桜並木は見えるがまだの様子。でも川の脇にはたくさんの菜の花が満開だ。裏口?の一本が三分咲きぐらいかと立ち止まって見ていると、川沿いの道を歩いて来た女性が「あと3、4日ね」と声をかけてくれた。「医者に言われてね、散歩してるの。向こうから来たけど満開は来週かな」と。そして「ここがアリオス。入ってみる?」と。

 公演がなくてもカフェや展示などに人々の姿のあるアリオスを案内してもらう。「今日はしまってるけど、ここで集まったりできるの。ピアノも使えるの」という部屋もある。通り抜けると広い公園へ出る。

「詳しいですね」と案内を感謝すると「ここの人じゃないの。避難して来てるの」と思いがけない言葉。さっき行った線路の向こうの町の名をいうので、「帰れるようになったんですよね」と言ってみると「だけど、もう帰らないの」と。

 「6年間、地震で壊れたままで放っておかれたでしょう?どうしようもないもの。若ければだけど、もう、ね」周りをみまわして「ここで暮らすの」

 街には店も増え、高層の”免震の”マンションが建ち、街を横断する緑地の公園で子供と遊ぶおじいちゃんらしい姿。「同じ町の人も沢山住んでるの」

 暇だからと案内してくれながらの当時の話。「関東の娘がね、泣きながら電話してくるのよ。早くこっちに来てって」「自分たちには何が起きてるかわからなくて・・テレビも見れないし。ガソリンもないでしょう?」「あっちこっちまわってね、ここに戻って。趣味のことしたり主人はボランティアしたり。病院もあるしね」
(聞けば数分のことだが6年間の歳月を想う。)

 人口が増えてるってそういうことだったのだ。住み慣れた家には帰れないが、なるべく近くに戻っておられるのだ。
 前線基地なら繁栄はいっときのもの。そうではなかった。着々と住みやすい町がつくられている。いわきという町が心やすらぐ場所に思えた。

  先日テレビで、この日にわたしが行けなかった線路の先の町の姿を見た。家が荒れ果てているのみならず、野生動物が跋扈しているという。町の再生は理想かもしれない。でも、病身だったり体力のない者に帰還するのは難しい。わたしだったら、やはり、いわきで暮らしたい。

 と、よそ者のわたしは簡単に書く。でもどれだけの迷いや思いがあることか。どうしてこんなことになったのか。それらを受け入れて決心したそれぞれの暮らしが続く。
 良いことがたくさんありますように!

井上陽水「夢の中へ」を語る鼎談 週刊現代5月8日発売号


「コンサート"Good Luck"一覧」のコメント欄で紹介されていますのでご覧ください。


そのエントリーでは気付かれないおそれがあると思いまして……この前の前です。

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