今日も井上陽水(忍)

井上陽水ってどんなひと?わからないから知りたくて。今日も明日も明後日も。

   

「小春おばさん」井上陽水2月の曲

陽水カレンダー 2023年2月の曲は「小春おばさん」

“小春日和“とは晩秋から初冬にかけての穏やかな暖かい晴天”だそうですが、♪風は北風冬風♪とうたっているし、固有名詞(仮にしても)らしいので2月でもいいだろうと聴くことにしました。

1974年12月発売のLP『氷の世界』13曲の12番目、最後から2番目の曲。
「小春おばさん」
「高知に住む父方の叔母さん、遠いのでなかなか会いに行けず不憫に思っていた」というふうな陽水の説明は、2014年の『氷の世界ツアー』で聞きました。
学校の春休みか夏休みに陽水少年は、福岡から大分へ、港からフェリーで四国にと旅をしてお父上の故郷を訪れ、小春おばさんに会ってもじもじと挨拶する。そんな姿を想像します。

この歌の歌詞について、怖いという感想をリリー フランキーさんたちが述べていました。たしかに
 ♪誰を誘いに来たのか
 ♪子供は風車まわしまわされ
の箇所はちょっと怖いです。

でも、小春おばさんの家は、“北風が通り過ぎた”  ”僕の大好きな…田舎町“にある。強引にいえば、氷の世界の外側なんですよね。

 ♪こはる〜おばさん〜あいにゆくよ〜〜!

叫ぶようにうたわれるが、以外のフレーズは声も小さくてとてもやさしくうたわれている。

 ♪子猫をひざにのせいつものおばさんの
 ♪昔話を聞きたいな

“小春”おばさんというタイトルをもつこの曲は、アルバムのこの位置にあって、穏やかに暖かな気分を、最後の「おやすみ」に渡しているのではないでしょうか。

実は、そんな雰囲気を感じるのには個人的なわけがあるかもしれない。
『井上陽水コンサート2005(弾き語り)』の四万十公演で、わたしは“小春おばさん”をお見かけしたと思うんです。通路の後の一列目に陽水の叔父様とご家族が居られて、わたしはその斜め後ろでした。
背の高いきりっとした叔父様と小柄な奥様、その方の印象がやさしそうで穏やかな感じだったのです。

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小春さんといえば

  • by no-yen
  • 2023/02/05(Sun)16:29
  • Edit
如月小春さんが、私にとっての小春さんです。
WEBで調べたら2月19日生まれ、おばさんになる前に亡くなってしまいました。
叔父の奥さんという意味では、30年以上会っていないおばさんがいます。

「おやすみ」の前の曲という点では、LPの曲順の妙を感じます。
「氷の世界」は曲順タイトルは言えませんが、音を聞くと次の曲が自然に頭の中に流れます。
ラス前の「小春おばさん」~「おやすみ」が名盤にふさわしいですね。
以上

びっくり!

  • by さき
  • 2023/02/05(Sun)18:00
  • Edit
如月小春さん!
ズバリ2月で正解ってことでしょう!

お名前に微かな記憶があって調べると演劇の方とか。舞台は観てないからテレビで拝見したのかもです。

ところで、四万十の会場におられたそのご家族がどうして叔父様ご一家と分かったのか。
ライブ中のMCで陽水は、お父上の故郷であることを話したのですがその折
「こんな変わり者ですがどうぞよろしくお願いします」
とまっすぐこちらに向かって挨拶し、わたしの前列の方が深く頷いたのでした。


ところで

  • by さき
  • 2023/02/05(Sun)18:36
  • Edit
『氷の世界』をcdで聴いたのですが(陽水自筆の歌詞が入っている)13曲終わってまた「白い一日」が始まってびっくり。
(bonus track,another take)とのことですが、なぜこの曲だったのでしょうね。

不如帰(ほととぎす)

  • by タイガーバーム
  • 2023/02/08(Wed)08:55
  • Edit
白い一日ですが

未発表音源 小椋佳 作詞「白い一日」
長年行方が分からなかったアルバムのマルチ・トラック
・テープが、レコード会社倉庫で発見、
異なる“アナザー・テイク”を収録。

とクレジット。

「同時期にこんなんありました」呈なのか
小椋さんの復興アルバムの時期?
そのあたりのつながりかな。


高知に訪れる韻律譜といえば
「帰郷~危篤電報を受け取って」

ライブ「もどり道」で
高知に還って3日で心臓発作で…
と消え入るような声で語り
切々と悲しみを胸に 詠う彼の声はつらく刺さる。
この収録では陽水が感極まって涙声になるところがあり
それだけで所蔵の意義があります。

あの頃は電報でしたし。
田圃は牛で耕していました。

山道を通るのでしょうか?
高知の田植えは4月初旬かな

夏鳥 不如帰の季節外れな鳴き声
(彼にとっては「泣き」声でしょう)

「哭いて血を吐く不如帰」
喉が赤く大きく口を開けてさえずることから
この言い廻しがあります。

想像ですが
今際の際には鳴いていなかったのでしょう。
13日法要か田植えの手伝いか49日で再度訪れた際、
不如帰の雄たけびにその心情を寄せたのかと。


「血反吐みせて狂い哭く」

少し時間をおいて高知に戻った時の
いや増す悲しみが聴くものの胸を射ちます。

小春おばさんの
「逢いに行く」
とはまた違った意味で
「遭いに征く」

どちらも近しい人への想いが切ないですね。

No Title

  • by さき
  • 2023/02/18(Sat)12:07
  • Edit
知ってるけれど思い出せない・・・
そんなことの増加スピードが最近の大きな悩み。

昨夜Mステをみていたら、アイドルに提供した曲をつくった大物歌手という特集?で陽水が映った。
「飾りじゃないのよ 涙は」中森明菜

大ヒットだったんですよね。大物歌手はまず少年時代のライブ映像がちらり。続いて明菜ちゃんの堂々の歌いっぷりに感嘆。ずばり明菜ちゃんの歌だったんだなあ。そのあと陽水のジャズバージョンのライブ映像あり。比べてみられて興味深い。どんなアレンジでも良い曲は良いのね。

アイドルへの提供曲は他にもある。ほら百恵ちゃんのあの、あの、、、
出て来ない。そ,そんなあ、大好きな曲なのに(泣)

 ♪月がわたしを許すなら
あともどりしたいわきらめくほしととまどうむねがもっとこなごなになーれば

 「クレージーラブ」!

陽水の歌詞にはタイトルが入っていることが多いので、こうしてメロディーを手繰って行くとわかるんですけどね。
情けないです。

梅がそろそろ満開の便り。
暖かくなるのは嬉しいけれど、別の便りを待つ心は焦る。春よ,ちょっと待って。



録音に関するエトセトラ

  • by skkmtshr
  • URL
  • 2023/02/22(Wed)22:56
  • Edit
ちょっと昔、NHKの番組だったか?
アルバム”氷の世界”のマルチ・トラック・テープという、
日本の音楽史においてなくてはならないものを、
しばらく見失っていたのに、たまたまレコード会社
(旧ポリドール?)の倉庫から出てきた、
という話で、当時の関係者たちが、
陽水さんも含めて、登場して、スタジオで聴きながら、
当時の出来事も含めて語り合う、という
テレビ特集がありました。

その番組では、小春おばさんは
フォーカスされてなかったですが、
改めて小春おばさんの曲を聞くと、
アコースティックギターからピアノ、
さらに、フルオーケストラに至る、星勝さんの
複雑なアレンジが施されており、
おそらく、当時使えた最大のトラック数16chを
全て使っているのだろう、とは思ってました。

と思っていたら、テープの何chに、 何の楽曲が
録音されているか、という情報がありました。

リンクのURL先の「大人のMusic Calendar」という
サイトに、当時、陽水さんのマネージャーだった
川瀬泰雄さんが寄稿していますが、
途中に「KOHARU NO OBASAN」と
画像の中にローマ字で手書きで書かれたものがあり、
まず、小春おばさんは、ロンドン録音であったことが
想定されます。

ああ、このchにこの楽器の録音をあてていたのか、
と興味深いです。ピアノやオーケストラは2chずつ。

陽水さんのボーカルは、かすかにNo.7にVocaまで見えるので、
7ch目と、自己コーラスがあるので、おそらくもう1ch、
画像にはみ出たところ(8chや16ch)に
あるのかな、と思います。

KoRI No SEKAIは、
7ch目がBack Vocal(確か、黒人コーラスを希望したが、実際にスタジオに来たのが、白人のゲイの方でしたっけ)。
12ch目が陽水さんのLEAD VOCALに割り当てられてるようですね。

この時代だから、こういうプロが使うものでも、
アナログテープで、かなり貴重だったでしょう。

だから、何回もテイクを取り直しする訳では
なかったと思います。
物理的なテープなので、傷みますから。

よく、陽水さん含め、この時代やその前の
「かなり歌唱力がある」歌い手は、
「録音とライブで聴く歌声が変わらない」と評価する
若い人がいますが、当たり前だ、という感じです。

1回1回、真剣に、歌いきり、そんなに取り直ししなくても、
多くの人に訴えるだけのモノを作り込んだわけだから。

生でレコード通りに歌えて当然な訳です。
陽水さんなんて、生の方が迫力があるぐらいですが。

今、デジタル録音は何でもあり、と、
言ってしまえばそうです。
素人でも、お遊びのDAWソフトですら、
数10トラックもできて、何度でも、
好きなだけ録音しなおせる。

プロのソングライターでも、こういったものを使って、
モチーフを作って、パソコンで切りはりしながら、
デモぐらいまでは、作ると聞きます。

氷の世界を作っていた時の、陽水さん本人と、
スタッフの緊張感は、今の音楽を作る多くの関係者とは、
別次元の緊張感があったと思います。

と素人が書くとプロから怒られるかもしれませんが。

でも、「緊張感」の中に覆われた、「狂気」、が氷の世界、
というアルバムには感じられます。

タモリ倶楽部......

  • by skkmtshr
  • 2023/02/22(Wed)23:23
  • Edit
 陽水さんの盟友、タモリさんの深夜番組とはいえ、
代表番組だった、タモリ倶楽部が40年を迎え、
ついに終了か......。

 朝日新聞や、日経新聞まで、電子版で伝えていたのが
すごいですね。

 来年(=今年)は、どんな年でしょうかね?と徹子さんに聞かれ、「誰も予測できないですよねぇ、でも、新しい戦前になるんじゃないですかねぇ(笑)」
と回答していた、昨年の「徹子の部屋」の最終回を、録画して、前に見ましたが、まだまだ元気なタモさんとはいえども、風貌をみると、歳は重ねたなー、とは思いました。
 だんだんと終活、とはまだいえないが、仕事の整理は始めている感じですね。趣味の領域ですが、タモリカップも終了したようですし。

 陽水さんも、タモリ倶楽部の中身なんて、
新聞のラテ欄には乗らないから、直接見るか、録画しないと、出ていることがわからないですが、タモリ倶楽部には何回も登場していました。
 ある時は、そばに立てかけたあった、初心者が弾くような白いギターで、心もようを、最初の数小節を弾き語りして、「こういうギターって大体チューニング合わないんですよ」と言って、タモさんと、笑い合っていたのを覚えています。

収録の流れで、名物コーナーの「空耳アワー」にもそのまま登場したりも。

他にもいくつか思い出が。

一つ一つ、ゆっくりと、ある時代が終わり、変わっていきます。

陽水さん、どうするんでしょうね。
ちょっと不安でもあり、楽しみでもあり。

50周年のコンサートでMCしていたように、もしや、ベッドに横たわった状態で出てくるのでしょうか?

それでも私は大丈夫です。今の陽水さんのありのままで。

だって私はギャラリー

  • by 紅玉
  • 2023/02/23(Thu)14:25
  • Edit
陽水が女性アイドルに提供した曲といえば、荻野目洋子の「ギャラリー」もありました。「飾りじゃないのよ」みたいな大ヒットにはならなかったけど、「ハンサムボーイ」に収録された陽水バージョンも含めて、私にとってはお気に入りの曲です。
CD「ギャラリー」のカップリングは、これも陽水が提供した「ON BED」。陽水ファンはご存知だと思いますが、当初は「少年時代」が入る予定だったものの、「どうしても自分で歌いたい」という陽水サイドの希望で急きょ差し替えになったとか。この判断はもちろん正解だったと思うけれど、荻野目ちゃんが歌う「少年時代」もちょっと聞いてみたかった。ちなみに「ON BED」も「少年時代」同様、陽水と平井夏美さんの共作です。
同じような逸話は、加藤和彦・北山修コンビの「あのすばらしい愛をもう一度」にもあって、やはりアーティストにとって「どうしても自分で」という曲はあるんだなあと思います。

「タモリ倶楽部」終了は私にとっても残念なニュースでした。陽水の出演はかなり昔ですが、「私たちにはなぜ人望がないのか」というテーマを2週にわたり神保町で語り合った回などは永久保存版です。
番組の放送開始は1982年10月で「笑っていいとも」のわずか4日後。タモリがお昼の顔になることで、シュールな芸風が薄れてしまうのを懸念した、田辺エージェンシーの田辺昭知社長の意向があったそうです。その番組が結果的に「いいとも」より長生きしたのは感慨深いです。

コンサート会場の収容率100%、会場での声出しがようやく解禁されました。陽水はこのタイミングを待っていたに違いないと個人的には思っています。

神保町で人望を語る&少年時代の製作過程

  • by skkmtshr
  • 2023/02/23(Thu)18:35
  • Edit
紅玉さん

そうです!ありましたね!

神保町で人望を語る。

あれは僕はVHS録画を失ってしまいましたが、
永久保存版ですね。

あのあとしばらくして、タモさんがどっかの
インタビューで、「いや、陽水は後輩を引き連れて、
なんだかんだで人望を得ようとしている(笑)」と
答えていたのも思い出しました。

確かに、大槻ケンジやデーモン小暮、奥田民生や
トータス松本を引き連れて居酒屋へ
行ったりしてたみたいですね。

陽水トリビュートのアーティストたちとも
交流がある人もいるようですしね。

話は変わって。皆さんもこの辺りの話は、
もう、ご存知かもしれませんが、
あの名曲ができた経緯の「記録」として
まとめて残しておかせてください。

少年時代は、もともと、荻野目洋子さんに提供しよう、
という話の時点では、おそらく
メロディーはLet it Beのコードを平井夏美さんが、
それっぽく弾きながら、陽水さんが
鼻歌で入れて作った感じですかね。

平井夏美さんの証言で、あれは曲そのものは15分で作った、
と言っていたので、メロディーやコード進行は、
今、聴いているまま、ほぼ出来ていたのだと思います。

ただ、今、私たちが、
聴いている歌詞ではなかったようですね。

もちろん、これは、陽水さんがOKしない限り、
世間には、絶対出てこないものだと思います。

最初は、陽水さんの母校(西田川高校)に
提供する、という話もあったようです。
これも平井さんの証言です。

話が前後しますが、
TBS系列の「ニュース23」を始めるときに、
亡き筑紫哲也さんが、陽水さんに、
オープニングとエンディングの曲を依頼した。

エンディングは、最後のニュースで決まり。

オープニングは、いきなり歌ではなく、ジングルにしよう、
と陽水さんが思い立ち、亡き大瀧詠一さんに、
コーラスのアレンジを依頼した。打ち合わせには大瀧さんと
仕事をしていた、平井夏美さんも同席していた。

曲が出来て、コーラスのアレンジもできたが、
レコーディングになると、大瀧さんは何故か現れず、
平井さんだけが現れた。

レコーディングはそれでも無事にそのまま終わったが、
暫くして、陽水さんが平井さんに電話をかけ、
「今、アルバム製作中だが、お手伝いいただけないか?」
ということになり、平井さんはフォーライフの社員ではなく、
別レコード会社の社員だったため、上司に了解を得て、
陽水さんの製作のサポートをすることに。

その上司が、平井さんを陽水さんに
暫く"貸しだす"代わりに、
当時、平井さんのレコード会社が
プロデュースしていた、
荻野目洋子さんへの曲の提供を陽水さんに
お願いした経緯があって、
今の少年時代の原型の曲が、提供曲として決まった。

ただ、そのあたりと時間軸は前後しつつも、藤子不二雄Aの、
我孫子先生から、少年時代の映画にエンディングの曲を
依頼され、紅玉さんが書いておられる話ですが、
陽水さんとしては、荻野目さんへの提供曲が、
いいのでは?と気になり、
「なんとか返してくれないか?」ということで
逆に、ギャラリー、を作って、荻野目さんや
平井さんの上司に、芸能界の世界では、
失礼なお話を、一応なりに、義理を通して、落ち着かせた。

で、いざ、我孫子先生原作の映画に、
歌詞を合わせて持っていく作業になるのだが、
これがあの陽水さんでも難産。

ここからは我孫子先生の証言ですが、
スタジオに4週間こもって1回も家に帰らず、
全国ツアーもキャンセルして、歌詞を直しては直しては
書き続けた。

映画の制作はほぼ予定通りに進行し、上映の日程も決まり、
ポスターもできたが、エンディングの歌は出来てこない。
当然、映画関係者から催促が矢のように飛ぶが、
我孫子先生は、不安ながらも必死で陽水さんに
催促がいかないように、止めていた。

最後の最後のギリギリになって、六本木で収録していた
陽水さんが我孫子さんに電話をかけ、今、出来たから
来て欲しい、となり、我孫子さんは飛んで行った。

そこでは、あの名曲が出来上がっていた。
我孫子先生は、曲を聴いて、陽水さんには何も言わず
帰ってしまい、陽水さんは「ああ、ボツかなあ」
と周りには語っていたようです。

実は、我孫子先生は、モチーフになるだろうとして、
書いた自分の歌詞は全く使われていなかったが、
スタジオで完成した曲を聴いて、
感激のあまり、何も言葉を、
陽水さんに返すことができなかった、のが真実。
(その後で、陽水さんは「歌詞は使わなかったですが、我孫子先生の気持ちはいただきました」というコメントを返したようですね。)

それで、出来たのが、今、私たちが聴いている「少年時代」。

あの名曲が出来た過程には、
これだけのドラマがあったのですね。
プロジェクトX的?というのでしょうか。

本当に運命です。

何度聴いても、私がファンであることを差し引いても、
発表後30年以上経っても、CMやテレビ番組の中で
起用される、多くの人が認める、名曲だと思います。

歌詞の意味が、未だにわからない部分がありますが、
それがいい。ロバートキャンベルさんがおっしゃる
余白ですね。

すみません、小春おばさんから全く飛んでしまいました。

では、来月は......、氷の世界のアルバムの、あれ、ですかね?

ならば、「まんがNO.1」のソノシートで
仮歌が発売されていた、、、
ヤフオクで見たことがありますが、
すごいプレミア価格です。

そろそろコメントを用意しておきますね(笑)、さきさん。

東へ西へ

  • by skkmtshr
  • URL
  • 2023/02/23(Thu)21:03
  • Edit
 小春おばさんとは、全く関係なくて、また連投で失礼ですが。。。

 ホンダのおそらく肝入りの、新型SUVのZR-V:e-HEVが発売され、CMがよく流れてますが、なんか、この曲聴いたことあるぞ、と思って、耳をそばたてたら、お!「東へ西へ」ですね。

 陽水さん本人の歌ではなく、LEO今井さんという方の
カバー、とのこと。

 http://www.leoimai.com/profile 
 
 プロフィールによると、日本とスウェーデンのハーフ?なのかな?
 一見では、なんとなく、直接的には、陽水さんの音楽と繋がりが感じられないのですが、何にインスパイアされて、カバーしたのか?
 ちょっと個人的に調べてみたくなってます。

 本木雅弘のカバー(紅白のパフォーマンスはかなり驚きでしたが)と、陽水トリビュートでiriさんがカバーしてますが、それ以来ですかね。
 
 昨年8月の、朝日新聞の記事の引用ですが、これに尽きますね。

 ■陽水は「古びない」。これも今回の調査で目立った声だ。

 本当に何度も、ずいぶん昔の曲が使われます。

 新海監督の最新作、”すずめの戸締り”は、陽水さん原曲の「夢の中へ」が劇中歌で使われてますしね。
 
 時代は変われど、簡単には古びない普遍性。

 陽水さんの音楽は、まだまだ聴き継がれていくのだろうと思います。

 私の”古びない”の一推しは「氷の世界」です。人の孤独やそこにある、うっかりすると潜んでいる危険性。音楽的にも、日本のロックで本格的にファンクの要素を取り入れたのは初めてでは?

 3番の、人を傷つけたいが、それが出来ない人はノーベル賞でも、という歌詞は今でも衝撃を受けます。

ありがとう♪

  • by さき
  • 2023/02/23(Thu)23:02
  • Edit
沢山の話題をありがとうございます♪
嬉しいかぎりです。
みなさん物知りですね。頭から溢れそうです。

「白い一日」
cd化の時に歌い直したのではなく、『氷の世界』制作時の声なんですね。疑問が解けました。ありがとうございます。

タモリ倶楽部はたまに見るだけでした。終わると知って慌てて毎回録画設定しました。陽水が「タモリさんを尊敬しています」と言ってましたが、わたしも尊敬しています。人格的に大きな方、軽さを保っているのが素敵ですよね。

荻野目洋子のギャラリー そうでした、そうでした!
ライバル、フィクションとまとめて3曲、いつもライブで聴きたいリストにあります。4年ぶりの一曲目は何かな?そわそわ。
少年時代とギャラリーにそんな因縁があったとは!

恐怖を含んだ「氷の世界」も尊敬しています。大きすぎてカレンダーに入らなかった。
3月の曲は…ま、仕方がないですね笑。他所を探したけれど見つからない。







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