今日も井上陽水(忍)

井上陽水ってどんなひと?わからないから知りたくて。今日も明日も明後日も。

   
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お誕生日に

井上陽水様

お誕生日おめでとうございます。

今年もお祝いを伝えらることを喜びます。
生きていてよかった!

いままた、公式サイトで”メッセージ“を聞きお顔を拝見しています
2020年10月2日、1年11ヶ月前
でも私たちには最新の陽水さま
お元気そうでゆったりのその笑顔に話しかけています

変わらずお元気ですよね?
今日の東京は涼しいけれど
どちらでお過ごしでしょう

暑い日中はお散歩しないでくださいね
朝早く・・無理なら夕方、スタスタと
運が良ければ空一面の夕焼け
間もなく暮れると街の灯が賑わって
コンサート会場の歓声も聞こえるかも

やっぱり行き着くのはその願いです
ご自分で言ってますものね
「ライブなどで会える日を楽しみにしています」

では会場で♪

2022年8月30日
きさら先
















陽水掲示板(仮)その2

沢山のコメントをこちらにお願いします!

よみがえる九州ニューミュージックフェスティバル
〜こうせつ・海援隊・陽水 夢の競演〜 RKB 毎日放送 テレビ 2022年1月3.4.5日
 https://rkb.jp/tv/kyushu_newmusic/


陽水初登場の[ザ・ベストテン]84年11月22日放送回 
 2022年1/22((日)21〜22時tbsチャンネル  安全地帯も小泉今日子も。
 https://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/o2615/

今こそ井上陽水

井上陽水様

お誕生日おめでとうございます!

いかがお過ごしでしょうか。
どこに、どんな次元に居られるのでしょう?

心は現実から遠く離れて彷徨中?
それとも今の空気の中に居て
新しい曲なんかうたってみている?

どこでもよいけれど
笑っていてほしいです。

コロナ禍とよばれる状況にほぼ一年半
わたしは
今日を祝えることが有難い。

このままなんとか正気を保って
脚も鍛えて
歩いて陽水ライブに行って
みんなで笑いたいです。

何度でも言いたい

井上陽水様
お誕生日おめでとうございます‼️

能古島の片想い 井上陽水

 202136日のKBCラジオの大型音楽番組に陽水がコメントで出演していた。友だちのおかげで聞くことができたのだが、アナウンサーによると録音したカセットテープが送られてきたらしい。
 ラジオ局が送ったアンケートに逐一答えるという真面目さ。人間が二足歩行し始めた頃から音楽は根源的に深いところで作用しているのではないかと、まっすぐな解答ぶり。
 いつもの喋りかたで滑舌もはっきり。久々の声が嬉しかった。

 放送は全部、ブログ「水の方向音痴」さんが陽水の口調そのままに書き起こしてくださっている。ありがたいです。
 内容はそちらをお読みいただくとして。

 放送後にかかった曲が「能古島の片想い」

 ♪つきせぬ波のざわめく声に 
 ♪今夜は
眠れそうにない

 
 意外でもあった。久しぶりで聴いた。
 声がメロディが身体に沁み込んで、かたまりを溶かす。ゆっくり呼吸をする。

 
 コロナ禍といわれる状況下でも、普段からひとに会わないわたしの生活は、そんなに変わらない。家に家族が居て通勤して会社で他人に会う人たちの緊張や疲労に比べるとラクなものだと思っていた。
 でもどこか、ピリピリしていたのだろうか。こんなにほっとするなんて。

   私はもうこの50年間 
   どちらかというとあの 
   暗い曲ばっかり作ってきておりましたから

   これからはちょっと
   聴いてる人に希望を与えるみたいな曲が
   できたらいいなぁとは思っています
     (『水の方向音痴』より)

さっき陽水の声はそう言っていたが
なにをいってるのか、このひとは
じわっと怒り、のような感情がこみあげた。
 2012年と13年のツアーで、その暗い曲に涙を流した東北のみなさんの、終演時の歓声を忘れたのだろうか。
 わたしたちが待っているのは新しい曲ではない。

 失礼な話だ、怒るなんて。当然反省をしてまた待つ。

 公式サイトにゆくのを忘れた夕方は
 しまったおくれをとったかと慌て

 日曜日の夜には
 きっと来週にはと思い

 陽水にとってファンなんてただのお客さんかと悲しみ

 あらためて『センチメンタル』の素直な抒情を愛でたり

 ある朝はふっと、もしかして体調が?と心配し

そうこうして そのカセットテープの声から4ヶ月と27日経った。
今日も暑い1日。8月2日 月曜日。
 

陽水ファンの52年(「私の陽水さん」のこと)

 
 「井上陽水 50周年記念ライブツアー『光陰矢の如し』〜少年老い易く 学成り難し〜」から約2年、今年は52周年目。陽水ファンもそれだけの歴史を持つことになる。
 ライブで陽水から時折ファンの話を聞いた。例えば最初のファンレターのこと。どこかの「ライブハウスの公演のあと、出たところで女の子に手紙を渡されたのが初めてだった」たしか「嬉しかった。よく憶えている」といっていた。
 あとは、人気が出て出待ちのファンが多くなって、突破するのに暗い中を走って溝に落ちたとか、これは笑い話として。

 文集『私の陽水さん』1981
 あるファンの方からこういう文集を貸していただいた。貴重な宝物をお見せいただいて光栄です。
 鮮やかなブルーの表紙に白抜きの手描き文字でタイトルが書かれたこの文集は80ページだが、内容はずしりと重い。当時のひとりの陽水ファンの思いの丈が詰まっている。

 多分関東地方にお住まいのこの方(以後Yさん)の陽水との出会いは昭和49(1974)、「人生が二度あれば」を聴いた時。
 それからYさんはレコードを集めて聴き込み、陽水関連の記事や番組を読み聞きし、そして感想を書いて当時の事務所に送ったのが文集の発端となったらしい。その事務所六文銭ファクトリー社長からはお返事が届く。陽水からも自筆の返事が届くこともあった。
 
 初コンサートが1976年のGOING ON。それ以来地元はもちろん新潟や東京へも遠征。その都度丁寧な感想を書き送る。周りにファンを増やして、ファンクラブ運営にも参加と活動は続く。
 
 Yさんは1981年に周囲の勧めでこの文集を編纂する。文集はその年の830日の「陽水さんへ」という手紙で終わっている。だがそのあとの約10頁が凄い!レコードはもちろん雑誌の記事、ライブ、ラジオ番組等々Yさんの陽水コレクションの表。7年間の貴重な資料だろう。
 Yさんの手紙たちを紹介したいのだが、書き始めて何日も経つがいつもここで止まってしまう。どう表現したら伝わるのか、とてつもなく大きくて重い荷物を運ぶ言葉はあるのか。
 やっと思いついた、Yさんは堂々としているんです。思うことを堂々とかつ細やかに書いている!感嘆しました。
 親しいセンパイのことばを思い出す。ある時期、陽水はもうフォークじゃないと思ってさみしかったと。このYさんも、曲の変化陽水の変容を受け入れて認めてずっと愛しておられるのでしょう。それが井上陽水であるから。
 このことに脈々と受け継がれる陽水ファンの歴史を想った。

 (無理矢理タイトルにこじつけてやっと終われます。S先輩ありがとうございました。)
 
 
 

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