「井上陽水 50周年記念ライブツアー『光陰矢の如し』〜少年老い易く 学成り難し〜」から約2年、今年は52周年目。陽水ファンもそれだけの歴史を持つことになる。
ライブで陽水から時折ファンの話を聞いた。例えば最初のファンレターのこと。どこかの「ライブハウスの公演のあと、出たところで女の子に手紙を渡されたのが初めてだった」たしか「嬉しかった。よく憶えている」といっていた。
あとは、人気が出て出待ちのファンが多くなって、突破するのに暗い中を走って溝に落ちたとか、これは笑い話として。
文集『私の陽水さん』1981年
あるファンの方からこういう文集を貸していただいた。貴重な宝物をお見せいただいて光栄です。
鮮やかなブルーの表紙に白抜きの手描き文字でタイトルが書かれたこの文集は80ページだが、内容はずしりと重い。当時のひとりの陽水ファンの思いの丈が詰まっている。
多分関東地方にお住まいのこの方(以後Yさん)の陽水との出会いは昭和49年(1974)、「人生が二度あれば」を聴いた時。
それからYさんはレコードを集めて聴き込み、陽水関連の記事や番組を読み聞きし、そして感想を書いて当時の事務所に送ったのが文集の発端となったらしい。その事務所“六文銭ファクトリー”社長からはお返事が届く。陽水からも自筆の返事が届くこともあった。
初コンサートが1976年のGOING ON。それ以来地元はもちろん新潟や東京へも遠征。その都度丁寧な感想を書き送る。周りにファンを増やして、ファンクラブ運営にも参加と活動は続く。
Yさんは1981年に周囲の勧めでこの文集を編纂する。文集はその年の8月30日の「陽水さんへ」という手紙で終わっている。だがそのあとの約10頁が凄い!レコードはもちろん雑誌の記事、ライブ、ラジオ番組等々Yさんの陽水コレクションの表。7年間の貴重な資料だろう。
Yさんの手紙たちを紹介したいのだが、書き始めて何日も経つがいつもここで止まってしまう。どう表現したら伝わるのか、とてつもなく大きくて重い荷物を運ぶ言葉はあるのか。
やっと思いついた、Yさんは堂々としているんです。思うことを堂々とかつ細やかに書いている!感嘆しました。
親しいセンパイのことばを思い出す。ある時期、陽水はもうフォークじゃないと思ってさみしかったと。このYさんも、曲の変化陽水の変容を受け入れて認めてずっと愛しておられるのでしょう。それが井上陽水であるから。
このことに脈々と受け継がれる陽水ファンの歴史を想った。
(無理矢理タイトルにこじつけてやっと終われます。S先輩ありがとうございました。)